ボクはなぜ、西粟倉村に移住し、ココでローカルベンチャーをやろうと思ったのか?
はじめまして、はっしぃです。
ボクは今年度東京から、岡山県の“西粟倉村”という村に移住してきました。
今回は「誰キミ?何者??」という方への自己紹介もかねて、ボクが西粟倉村に移住してきた経緯についてお伝えしていきます。
西粟倉村との出会い
そもそも、東京に住んでいたボクが、どうやってこの西粟倉村について知ったのでしょうか?
そのきっかけは、ある方のツイートでした。
来たぞ西粟倉! 場所: クラシカ https://t.co/xCkH0KgiHa— 🏠🚶🏻♂️ (@hbkr) 2018年7月26日
西粟倉森の学校見学! pic.twitter.com/Gx2L00i4yt— 🏠🚶🏻♂️ (@hbkr) 2018年7月27日
西粟倉の廃校で育てた森のうなぎを食す pic.twitter.com/gCg95X7Q77— 🏠🚶🏻♂️ (@hbkr) 2018年7月27日
この方、ご存じですかね?
クラウドファンディングサイトを運営する「CAMPFIRE」の代表取締役で、フレンドファンディングアプリ「polca」やシェアハウス「リバ邸」など、画期的な仕組みをいくつも生み出している連続起業家です。
上記のツイートは、その家入さんが西粟倉村へ視察に来ていらした際のものです。
ボクは当時、たまたま前述のシェアハウス「リバ邸」で生活していたこともあり、家入さんのツイートをよくチェックしていました。
このときTwitterを開いていなければ、ボクが西粟倉村に出会うこともなかったかもしれないなぁと考えると、人生ってフシギなものですね(笑)
LLL(ローカルライフラボ)に応募するまで
こうして西粟倉村のことについて知ったボクが、次に興味をもったのはLLL(ローカルライフラボ)でした。
LLLとは一言でいうと、“「自分×地域=ナリワイ」を研究するための1年間の地域おこし協力隊制度”です。
👇詳しくはLLLを主導する株式会社エーゼロさんの紹介記事をご参考ください
https://www.a-zero.co.jp/lvslll-nishiawakura-lll
もともと、田舎でやってみようと思っていたビジネスプランはあったものの、
・ 東京からいきなり田舎に移住しても、地元の方に受け入れられないんじゃないだろうか?
・自分のビジネスプランだとうまくマネタイズできる自信がない…
といった不安が頭によぎって、すぐにはできそうもないなぁと半ば諦めていたボクにとっては、LLLが、まさに「福音」となったのです。
こうしてボクは「思い立ったが吉日!」とばかりに、さっそくLLLに申し込むことを決めたのでした。
初めての西粟倉村訪問
LLLに申し込むためには、8・9・10月に1回ずつ行われる西粟倉村フィールドワークにいずれか1回参加する必要がありました。
まぁどういうところかわからないのに、いきなり知らない村に飛び込むなんて怖いですもんね。
フィールドワークの2日間では、写真のように村の名所を案内していただいたり、ローカルベンチャーについて実感を感じられるようなお話をたくさんしていただきました。
最高の時間を過ごすことができたのですが、しいて言うのであれば、もっと地元に住んでる方の生の声も聞きたかったなぁ...
ボクのビジネスプラン
フィールドワークも終え、11月に行われた面接で無事に、LLLの2期生として採用していただくことができました。
では、ボクの当初のビジネスプランとはいったいどんなものだったのでしょうか?
実はこのビジネスプランこそ、ブログタイトルが「はっしぃのなつやすみ」となっていることや、ブログ中での一人称が“ボク”であることと関係しているのですが...
勘のいい方はわかりますかね?(笑)
ボクがやろうとしていたのは、“ゲーム「ぼくのなつやすみ」シリーズをリアルで再現する小学生向け田舎体験事業”でした。
「ぼくのなつやすみ」といえば、2000年6月に第1作が発売されて以来、第4作まで発売された大人気ゲームです。
そのコンセプトはどれも共通して、“夏休みに1ヶ月間、田舎の親戚の家で暮らすことになった昭和の時代の小学生を疑似体験する”というものです。
ボクが生まれたのが1998年なので、ドストライク世代というわけではありません。
が、幼い頃父親がプレイするのを横で見ていた頃の思い出がよみがえり、この歳になってドハマりしました!(笑)
特に大人になってからプレイしたぼくなつ2~4に関しては、昆虫採集も虫相撲も魚釣りも、果てはゲーム中の登場人物の会話でさえもほとんどコンプリート。
えぇ、れっきとしたゲームオタクですね(笑)
そして
ボクがドハマりした、このぼくなつの世界を再現できたらたのしいんじゃない?
という思いと、子どもと接するのが好きというボクの性格を組み合わせた結果、生まれたのが先のビジネスプランだった、というわけなのです。
まぁこのビジネスプランも、村暮らしから1ヶ月ちょっと経った今では、大きな方針転換をむかえることとなるのですが...
それについては、またの機会に。
おしまい。